可処分時間研究会

私の主張を 更新 しました! -2018.01.12-

“可処分時間”とは、なんだ?
デフレ克服に必要な、21世紀型経済成長とは?

可処分時間研究所 代表 瀧本泰行

はじめに

可処分所得という言葉は、良く知られている。個人所得から税金や社会保険料などを控除した自由に使う事が出来る所得の事で、この金額の多寡が経済的な豊かさを意味している。
トップに成ろうとしていた。実際に、高所得者も含めた国民の所得の平均値は、1988年に年間655万円も有ったのに、11年後の2009年には549万円へと下降し続け、国民の実質的な平均である「所得の中央値」も、それぞれ544万円から438万円へと20%近くも下がっている。高度成長の末期、日本人の所得は一時、米国を抜いて世界でも「トップに達するのでは」と期待されるほど伸びた。しかしその夢は、あっけなく崩壊してしまった。以来、20年間も下がり続け、昨2016年には欧米諸国や、香港・シンガポールにまで抜かれて、世界の20位以下へと下降してしまっている。デフレは一刻も早く解決する必要があるが、その為に必要と思われるのが、「可処分時間」という新しい概念だ。以下、説明をしたい。

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三本目の矢とは?

アベノミクスの「金融の矢」と「財政の矢」で状況は変わった。しかし、肝心の三本目の矢、つまり、「個人消費」を増やす事が今になっても決め打ちが出ないほど難しい。日本経済は、それでも現在世界第一級のレベルに属しているが、デフレの今「消費を増やす」というのは、「言うは易く、行いが難しい」典型なテーマだと思う。小手先の政策変化ではなく、発想を根本から変えないと、一見易しそうに見える「消費を増やす事」の実現は、無理だ。高度成長を可能にした経済発展の土台が全く変わってしまったからだ。日本の経済を復活させるには、経済の進む道を右や左に方向転換させるのでなく、思い切って、高さや方向の全く違う新しい土台を目指して「横飛び」のジャンプをする位の覚悟が必要ではないか?
その為には、現在でも常識となっている事を「疑い」、時空を超えた「新しい見方を」磨かなければならないはずだ。つまり、経済の歴史を国内と海外の両方から見直すべきだと思う。

デフレの真の問題

デフレとは物価が下がり続けることだが、1995年にタンスに入れたまま忘れていた1万円札は、物価が下がり続けたので、実質消費価値を計算すると2012年には11200円、広範な一般物価の動向で調べると12200円へと価値が増えていた。(日本経済新聞調べ)この20年で、お金は手元に置いているだけの「タンス預金で」、22%以上価値が増えた事になる。
デフレ時の金利は安い。でも返済するときには、実質価値の高い貨幣で返済しなければならない。インフレ時は金利が高いが返済時の貨幣価値も下がっており、拡大する経済の環境なら、売り上げも増やせるし返済し易いし、積極策を打たないと業界の中での地位、競争力を下げてしまう。経営者が一番恐れる事態だ。デフレの最大の問題は、経営者に減収でも増益することを求める空気が出来た。経済発展の源である「起業家精神」、俗に言えば「アニマル・スピリット」が骨抜きにされてしまう。経済成長に何よりも必要なのは生産性の向上であり、その為には新しい投資が必要で、そこに競争が生まれるのだが、デフレの環境下では新しいチャレンジ、つまり危険を冒すよりは、「経費を減らして利益を確保する」という消極的な対策以外は何もしない方が、経営者にとっては楽なのだ。この間、多くの大企業経営者は、激烈な価格競争に対処する策として、ひたすら合併と統合でスケールメリットを追う事と、最大の経費である人件費を削る為の投資を最優先にして来た。例えばかつての(新日本製鉄は住金と合併し、両社合わせて7万人程いた社員数が今では4万人にまで減ったそうだ。同様に同業の大企業が合併し合い、社員を30%近く減らしても、同じ生産量・収入を維持している業界は、鉄鋼や機械産業を始め銀行などあらゆる業界に及び、そうした企業だけが生き残ったのが事実であり、それがデフレを、こんなに長引かせている理由でもある。

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XXXXX

今まで、経済学も政治も「左から右まで」色々な立場はあっても、経済を成長させる為には、国民の可処分所得を増やすしか無いというのが、常識だった。バブルが崩壊して、不況に突入すると、国を挙げて政府・財界・官僚の間で、日本経済復活の方法論を巡って熾烈な論争が繰り広げられ、色々な手が打たれた。しかし、現実の結果として橋本内閣以来、首相は10人も交代しデフレに取り組んだが、誰も問題解決出来ていない。“可処分所得増加の為”財政で経済を刺激しようと必要な新立法が数多く行われ、金利も下げ続けたが状況は好転せず、経済の国際化自由化に対応する為の投資として、累積で2000兆円近くもの巨額な財政投融資がなされた。今でも返済・償却しきれていない1000兆円以上の政府債務を抱えているが、そこまでした結果がこのデフレ状態の未解決という事になる。政策の論争は、立場は違っても、第一と第二の矢である「財政」と「金融」の規模やタイミング、その意味の解釈や価値観の違いだったのは、明白だ。それは、マネーつまり国債や銀行券・預金をどう使うかという方法論の違いだ。しかし、それらの矢だけでは、国民の生活を良くすることが出来なかったから、「第三の矢」というキーワードが出て来たのではないだろうか?第三の矢も経済活動の活性化が目的なのだから、金融でも財政でもない別の形の「マネー」でなければならないはずだ。ではそれは、一体何だろうか?

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かつて40年も前に、一億人が活躍した時代が有った。

今、安倍内閣によって一億人が総活躍する社会の為、働き方改革が唱えられている。
日本のバブルの発生する前の高度成長中の1970年代後半、新聞や雑誌に“一億総中流社会”という言葉が話題になった。国民の90%もが、経済の急発展で自分が中流に属すると考えるまでになったからだが、このキャッチフレーズは、今では実に懐かしい思い出であり、素晴らしい言葉だった。今にして思えば、そんな経済社会こそ、昔からあらゆる哲学者や宗教、政治家が理想とした社会だったからだ。二千年を超える日本の歴史上、そういう時代は実際には一度も存在しなかったし、世界史上、いや人類史にも無かったではないか!その意味では、20世紀の末になって日本が世界で初めて “人類の夢の社会”の達成に成功したのだと言っても間違いではない。これは、日本が世界に対しても誇れる大事件だったのだ。
1970年頃から僅か二十数年の短い期間しか存在しなかったその社会は、1945年の悲惨な「敗戦」の結果、全国大都市が焼け野原と化し、世界の最貧国の一つにまで落ち込んだ日本を、わずか20年余で再建した「高度成長」が生み出したものだ。この、世界中が素直に驚いた偉大な経済的な成果こそ、“一億総中流社会”だった。しかし当時、我々はそれを素直に喜び、評価しようとしなかったと思う。どちらかと言えば「たかが中流か!」と否定的、自虐的に語る事の方が多かったと思う。「もっと稼ぐべきだ、もっと財産を増やして何が悪い!」と。確かに、当時10%以上のインフレが続いていたし、オイルショックも起こった。急速で異常な円高も起きた。それに対抗して自らの資産価値を守ろうと、不動産や金融や証券のマネーゲームに活躍の場を選んだ企業や、投機行為に成功できた少数者は、当初は、大儲けをしたが、バブルの崩壊に直面した国民の大多数は、結局うまく行かず、やっと築いたなけなしの財産を、プロの投資家である勝者に貢ぐ側の立場になる結果になってしまった。多くの悲喜劇が起こり、高値で買ってしまった不動産や株は暴落。返済しきれない借金を抱えてしまう事になり、素晴らしかった「あの理想だった良き社会」は、目の前からあっという間に消え去ってしまった。2006年に日経新聞が調査した時には、自らを中流と考える国民は54%へと激減し、37%もが自分は「社会の下流に属する」と考えるようになったのだ。

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では、どの方向へ、どんな飛躍が必要なのか?

それを探るために、過去をもう少し振り返ってみよう。高度成長の路線を設定できた土台とは、日本国民の知的レベルが世界的に非常に高かった事実と空襲で破壊しつくされた社会に、戦後、外地からの引揚者の発生による経済人口の増加と、続くベビーブーム、それに家族制度の転換による世帯数の急増があった事がある。だから、あらゆる商品が必要となり、膨大な需要が起こった。一方、供給面を見ると、米国から学んだ家電などを中心とする商品群は、大量生産技術で劇的な価格低下を実現することが出来、需要に呼応する大量供給を可能とした。新製品も次ぎ次ぎと生まれた。1950年代の朝鮮戦争や続くベトナム戦争に直接参加する事を免れ、軍需物資の供給まで引き受けて生産基地となったし、1ドル360円という、輸出にはとても有利な為替レートを得ることが出来た。需要が供給を生み、投資を経て供給が更に大きな需要へとらせん状に拡大するという、高度成長の土台だった。その上で日本の経済が高度成長したのは、ある意味で当然だったと言ってもよいのではないか?
初期の家電製品の登場は、洗濯機、掃除機、冷蔵庫など、スイッチを入れるだけで家庭の主婦にかなりの自由な「可処分時間」を提供した。それまで、・炊事・洗濯は主婦にとって毎日数時間もかかる大変な作業だった。日本の女性達は、その時間をパートタイムの労働力として活用し、新たに製造工場やスーパーなど経済成長に必要な産業の低賃金労働力として大変な貢献をしたのだ。「井戸端会議」は無くなったが可処分所得も増え、それが更に消費増加の力となるという理想的な好循環を創り出したのだ。実に安定した良い土台の上で経済を拡大できた事になる。経済成長の為の新幹線や高速道路、航空路を建設する為の空港などの公共投資も、費用対効果が著しく、努力の仕甲斐があった。だから、漠然としてはいたが、国民が皆、将来への安心感を持て、「一億総中流社会」は、かくて生まれたのである。
XX歴史をもう少しさかのぼると、日本は160年前の江戸時代末には、既に世界でもトップクラスの国民教育レベルを実現していたのだ。開国して欧米諸国から学んだ技術を更に磨き、世界のトップまで磨き上げ、需要を更に海外にまで求め、輸出を大規模に始めた。簡単な民生品から繊維産業などで、先進諸国を追い超す地位までになった。当然ながら、日本との経済成長の競争に悩んだ米国や英仏蘭などが、これを黙って見ている筈がない。明治維新後は、世界の「五大国」になるまで急成長したが、それが故に1930年頃を境にして、困難な状況に追い込まれ、そのまま十数年後の敗戦に繋がった訳だが、その時も、日本人は、自らが置かれた歴史的“経済的な土台”の変化、つまり、日本を支持してくれた欧米列強が、日本の躍進を彼らにとって「苦々しく危険な存在」と考え始めていた事に、余りに鈍感だったと言えよう。特に、第一次大戦の結果生まれた国際連盟で日本が提案した「人種の平等」という当然の考えが否決され、米国の不当な移民の「排日法」が強行された事に対する「怒り」に国民の心が捕われてしまい、維新開国以来の経済的な成功という同じ土台を進むのは、日本の当然の権利だと考えて、「皮一枚めくれば、国の利害を巡って騙しあうのが現実」という「冷徹」な国際間の力関係の変化を、冷静に見なかったという事だ。

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70年間ごとの二つの土台の変化

1868年の明治維新以来、1945年の敗戦の挫折まで約70年かかったが、それ以来、又70年過ぎた事になる。1980年代の後半バブルに突入したころから、日本の土台を台湾や韓国それに人口が桁違いに大きい中国などが、大幅に安い労働コストで新テクノロジーを使って急追してきた。その動きを大きく支えたのが、これまた、欧米列強である。日本は贖罪意識もあって、多額の経済援助で協力しながら、同じ事業分野で対抗しようとしてしまった。
自らが活躍できた土台で競争する人口が桁違いに増えて、“市場経済に一大過剰生産が発生している”という当然の事実を、十分に認識しなかったと言う事だ。自らが置かれた状況が、良く見えなくなっていたのだ。一例を上げよう。高度成長の主柱であった家電産業で起きたのは、テレビを主とするメディア商品の価格の激変である。見たい番組の時間に自分の時間を合わせるのではなく、自分の時間に合わせて見るのを可能にしたビデオ・VTR・DVDは日本が世界の技術開発のリーダーシップをとった大型商品だったが、その価格が僅か20年余で如何に下がってしまったか?1980年頃はVTRの器具も30万円台と髙かったが、今DVDに変化し一万円でお釣りがくるし、その媒体であるビデオ・テープも今から見ると信じられない程高価で、なにも録画してない60分の生テープが、1万円以上の価格だった。それを台湾や中国が作り始めると、2-300円に下がり、やがて技術革新でDVDのディスクに取って代わられると、価格は、10-20円位にまで下がってしまった。これでは、巨額の開発コストを負担した企業と、真似をして追いかければ良いという企業との間に、まともな経済競争が成り立つはずがない。

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もう一つ

明治維新以来日本経済を支えた銀行は、高度成長を可能とし、バブルを起こした最大の責任を負うが、メジャーな銀行は三つしか残っていない。

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これから、変化はもっと激しくなる。

現在では、そう言ったハード商品すら主商品ではなくなり、インターネットで必要な時に必要な量だけの映像ソフトを、場合によっては無料で見る事が出来る。そのソフトも自分のニーズに合っているかどうかを、オンラインで他人のコメントを参考にする事も、当たり前の社会になっている。だから人件費の少なさが決定的な武器となる仕事は、中国や台湾に移管させ彼らに任せて、国内に発生するその分の労働力を生かす新しい仕事、つまり、新しいIT技術や商品を創造するという、当然の投資と開発の努力を優先すべきだったが、そうしなかった。高度成長を巻き起こした、あの起業家精神、眞にハングリーなアニマル・スピリットが十分に刺激されなかったのである。だから、利益は急減し、それが新しく産業に参加した若者世代に低賃金と消費力の不足、つまりデフレ体質として定着した理由だと思う。スマホの普及やグーグル・フェイスブック・アマゾンの登場を見れば、これからの変化は、IT化とそれを更に発展させたIOT化を通じて、ますます巨大な変化になる事は確実だと容易に想像できるのではないのか?

変化への対応こそ

経済成長を取り戻そうとリーダー達は、不況が始まり構造的に競争力の弱くなった企業や産業の構造の土台の変更をしようとせず、政府主導の財政を使った補助金政策で問題の解決は可能だと、市場経済の原則を無視した虚妄な政策を実行してしまった。結局、それが日本にとって実に高くついてしまった。オイルショック後の不況に悩む大量生産型の企業には、政府と行政が合併や統合を奨励し、より大規模な生産さえ実現できれば、スケールメリットで何とか乗り切れるだろうとした。しかし、それは行政官僚の“勘定あって銭足らず”の「武士の商法」に終わってしまった。ICチップ製造産業なども含め成功事例は殆ど生まれず、ついに、三洋・シャープ・日産など、高度成長の原動力となり技術力でも世界一級の競争力のあった代表的な日本の企業までもが競争に敗北し、合併,吸収されてしまったのだ。これは、あの大戦でパールハーバーやシンガポールの「戦闘に勝利した」為、その後のウェーキ島やガダルカナルの深刻な敗戦を深く検討しようともせず、ビルマ・インド迄、補給線の計画を運まかせに戦線を広げた為、戦力の逐次投入を続けるだけで、分断され個別に撃破されてついに崩壊まで行ってしまった70年前の敗戦に、何と良く似ている事だろうか?
日本の体質は、変われないのだろうか、思わず、ため息が出てしまう。人は、優秀な人間こそ、官僚的になると理性では動かず、「空気」で動こうとする。かつての日本軍官僚の事を言っているのではない。現在の企業、組合や政治でもあらゆる組織の社会で同じだと思う。

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新しい土台とは何か?

日本人の需要が工業製品主体からサービス商品へと変化しているのは、明らかだ。21世紀の新しい経済成長の競争は、既に目前で繰り広げられ、当然、工業だけでなく、農業もIOTでサービス産業化している。農水業・工業は、総じて暮らしに必要な「もの」を作ってきたが、サービス業は、ものを作らず、物を「扱って」付加価値を創造してきた。物を扱うとは古来の言葉で「こと」と言い、両者あわせて「物事」になる。
この20年間、デフレ克服に一所懸命に努力した政府の可処分所得増加政策が、現在に至るも実現していない現状を解決するには、新概念の導入が必要と述べてきたが、それは物を作る産業から、「物事」を創造する産業という新しい土台へのジャンプなのだと思う。その為には、全く違う新しい発想をする必要が必要だ。横跳びする“新しい路線“となるべき土台の中心となるのが、所得という伝統的貨幣=マネー=銀行券と預金では無く、「可処分時間」という新しいお金を活用した経済活動である。正に「時は金なり、Time is Money」なのだ。

三本目の矢の観点の土台を作れるか?

安倍内閣も新しい体制が組まれ、「一億総活躍会議」等、日本の伝統的な「働き方」や「暮らし方」に対する新政策が考えられている。いわゆる“ワーク・ライフ・バランス”だ。
この会議の議事録を見ると、日本経済は(名目GDP600兆円)、(希望出生率1.8)(介護離職ゼロ)を、実現可能性の一番高い三本目の矢“消費増加策の柱”として実現する為、大きな「空気」を作ろうとしているように見える。しかし、この会議には参加者が多すぎ、結局実質的な審議が行われそうもない。注目すべきは、この間の労働時間短縮問題が、労働基準法に基づき“適法”に行われさえすれば、初年度から12兆円の消費増効果があり、雇用創出効果も150万人に達し、それを狙った投資も呼び起こされ、デフレを脱却する実現性が非常に高い事を政府は、すでに14年も前の平成15年に経産省と厚労省の合同調査で発表していた事実である。12兆円には、それに関連して起きる設備投資増とその雇用は含まれておらず、その合計額は15兆円に達することは、十分に推定できた。当時のデフレギャップは300兆円の消費の5%ほどと認識されていたのだから、日本が労働基準法通りの適法な法治社会になってさえいれば、巨額の財政投資などしなくとも、既に10年以上前に、デフレは解決していた事になったはずである。

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早急に手を打つべき施策とは

では、どうしてそうならなかったのだろう?有給休暇の法律は、既に60年以上前に立法化されている。だから存在している法を実際には無視するという「違法状態」を、適法状態に戻せば良かったのであるが、「法治国家」である筈の日本で、その当然がなされなかった。
この事を、深く反省し再認識すべきだ。21世紀のリーダーとなるサービス産業は、消費者が可処分所得と、「自由に使える可処分時間」があって初めて消費が成り立ち拡大できる。有給休暇取得を与えるべき法的な義務を“与えなくても罰すべき様な違法ではない”としたのは、1960年代当時の労働省の省令であったはずだ。高度成長が本格的になった頃である。省令とは、所割する大臣の発議を内閣が決定するだけで作れ、実際に行政的な力を持つ。おかしな事に国会の議決を経た法律を、省令が否定するという、とりあえずの一時対策であったはずの行政的な措置が、とんでもないことに、60年間も省り見られずに来たのだ。
国民全体の有給休暇取得の実数は、一部の大企業を除いて40%にも達していないと言われる。労働基準法通りに休暇日数を与えれば、当然雇用を増やすか、省力化の為の投資をする必要がある。それは、就業の機会と消費が増えることを意味し、対象とする投資の機会も増やしたはずである。つまり、デフレを解決できる新しい状況=新しい土台が生まれる事を意味した。景気回復に2000兆円も財政を費消したのなら、何故、そのほんの一部でも労働時間の減少を可能とするノウハウや技術開発の為に投資しなかったのだろうか?それは「働かないことは悪い事」という時代錯誤の誤った「空気」が強力であるからだ。この「巨大な空気」は、秀才・エリートを自認する人達の間に、とりわけ強い。勤勉こそが日本の発展の基礎だと言うのは、理解しやすい。しかし、サービス経済が主流の社会では、自分が休むことが、他人に働く条件を提供するのであり、「他の人が休んでくれるからこそ、自分が働ける」という事を理解しなければならないが、この簡単な理屈をエリートは理解できないのだ。休むことは、勤勉と矛盾しない。「贅沢は敵」ではなく、「素敵」なのである。筆者は、デフレを克服するためには、国民生活の可処分所得の増加よりも、“可処分時間の増加”による景気回複をする為の空気作りこそが必要だと、永年主張してきた。ただ、キーワードである「可処分時間」の概念が、とに角“判り難い”と言う指摘を頂く事が多いので、ここで、もう少し詳しく説明したい。

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現在、PCで「可処分時間とは」を、検索してみると

”自分の裁量で自由に使える時間のこと”と定義され、“人の生活においては、1日のうちにはいろいろなことをやらなければいけない。食事をしたり、身支度を整えたり、仕事をしたり、掃除をしたり、勉強をしたり、友達と遊んだり、子供がいれば子供の面倒をみたりする必要がある。誰もが平等に持つ1日24時間のうちで、絶対にやらねばいけないこと、即ち身支度、食事仕事、家事、睡眠など生活維持に必要な時間を差し引いた後に残る、自由に使える時間が「可処分時間」である”と述べられている。確かに、私たちは、その時間を使って生活しているし、自分の趣味に没頭したり自己学習の勉強をしたりもする。
しかしこれ自体、筆者の言う可処分時間の概念の説明としては、不十分というよりも、「誤解」である。可処分時間とは、上記の記述するような「余暇=余った自由時間」では無いのだ。デフレを克服し高度に発展した経済社会を創り出す為には、レベルの高い「新しい消費」を持続的に拡大していかなければならない。そのほとんどが、新しいサービス産業だが、サービス消費には、可処分所得だけでは無く、“所得に裏打ちされた可処分時間”の創出が絶対に必要だ。それは、IOTをフル活用した豊かなサービス産業の拡大につながり、日本人の生活スタイルを根本的に変える。それこそがつまり“新しいお金の創出=三本目の矢になる”のだと考えてきた。Time is money、正に“時は金なり”である。人間がコンピュータープログラムを製作していた時代から、コンピューター自身がプログラムを創る時代に急速に変わっているのは、正に、鉄腕アトムの世界だ。この巨大な波にうまく乗り、勝ち組となれる立場になるか、コンピューターに管理されて、安く使われてしまう立場になるのか?非人間的な格差が出来る状況が、すでに大規模に始まっている。
経済学の「可処分所得を上げるという、伝統的な手法」だけでは、必然的に社会は二分され、デフレは、何時まで経っても治らない。本来、貨幣とは、主に紙幣つまり銀行券と預金を意味する。その本質は、実態では無く、信用創造される「システム」なのだ。デフレは昔、特に戦争という手段で良くも悪くも比較的、短期に区切りがついていたのだが、現在は長期化し、20年もかかっても解決しない。一世代に悪影響を与え、それが次の世代にも悪影響を及ぼすというのが21世紀型デフレたる所以だ。
かつて100年前、有名な経済学者・ケインズは1920年頃、第一次大戦から復興し、発展しつつあった欧米の経済を見て、当時の生産性の急激な上昇が続けば、やがてイギリスの労働者の労働時間は大幅に短縮できるし、そうしなければ需給の矛盾が暴発するだけだろうと述べたという記録がある様だが、実際にそうなってしまった。起こったことは、その生産性の向上が各国に消費の増加を起こし、国民が豊かになる事に繋がったのではなく、生産性上昇で得られた利益をもっと増やそうと、更に過剰な投資に富が回された。結果商品の生産過剰と、それを捌く為の国際市場の取り合いの矛盾から発生したバブル、その崩壊後の恐慌で激増した失業に対する先進各国の国民的なフラストレーションを原因として大戦争が起こった。二度も自国内で悲惨な惨禍が起きてしまった事を反省した西欧は、第二次大戦後の経済復興がほぼ終わり、1960年後半頃から始まった商品の過剰生産不況の兆候に備えて、長期的な経済政策として国民に有給休暇を与え、労働時間の短縮をしながら新しい需要を創り、過剰な生産性拡大にならない政策が唱えられ、ILO(国際労働機構)が年の有給休暇の内、10日分を土日と繋げて最低二週間の連続休暇として与え、新しい需要を増やすよう加盟国に勧告した。日本も加盟国だが、ILOの再三の要請を受けても、目前の高度成長政策にとって有害であるとして無視され批准しなかった。日本のGDPが1970年後も増え続け、「高度成長」を続けていたし、何とかそれを、そのまま維持したいという事が背景にあった。
今では、世界の先進国では、2~4週間の連続休暇を取る事は当然となっている。サミット参加諸国をはじめ北欧諸国・豪州・ニュージーランドなども平和的な経済成長政策の柱として連続休暇制度を取り入れているし、その需要増加で国民平均所得でも日本を逆転し、上回っているのだ。これは、実に素晴らしい成果ではないか?連続休暇の増加が生産調整をし易く消費を増やせるので、数年ごとに循環的にやって来る経済の不況期を、解雇やレイオフ(一時的な解雇)をせずに乗り切れた事から、連続休暇は、少しずつ増え、今では、その合計が4~6週間に達した国が多い。それら諸国では国民が可処分時間を、豊かに持っていることになり、このマネーは、個人別にも、社会的にも緊急事態が起きた時には、その分自分の為に働く事も可能であるのだ。介護やその他独自の理由で国民が可処分時間を持つという事は、まさかの時の為の時間の蓄え、つまり、貯金を持っているという事と同じだと思う。

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実は日本にも、可処分時間を、時代の経済や文化に生かしていた時代があった

日本の文化は、世界でも独特なものとして西洋と違うのは勿論、東洋の中でも、中国とは違う独自な文化圏として世界に認識されている。それを可能にしたのは、島国だった事が地理的条件として大きいと思うが、17世紀になってからの260年に及ぶ江戸時代の存在があったからだ。世界ではこの時代、欧州を中心とする、戦争に次ぐ戦争でアフリカやアジアの植民地化も進んでいたが、日本だけが戦乱に巻き込まれず、むしろ、当時の世界で、唯一の「軍縮を進めていた国だ」と、かつての駐日米国大使のライシャワー氏が指摘していた。

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過ぎたるは及ばざるにしかず・・・、貯蓄を増やしすぎないのも知恵である。

その時代の代表的な経済的特徴は、幕府による「参勤交代」の政策だった。これは、大名に定期的に出費させ、戦争資金の蓄積をさせないという考え方と、江戸を中心に日本を一体化させる効果を上げた事にあった。大名の富裕化が、その資産を守ろうとする動機から、戦乱が起きやすいことを、徳川家康は、良く理解していたのである。換言すれば、藩の消費を積極的にさせ、「藩の可処分所得の蓄積・増大をコントロールしようとした」点にある。
事実、1450年頃から1600年頃まで続いた「戦国時代」が起きた原因自体も、当時、全国的に米の大増産が可能となり、各地の金属貨幣の増大という富の蓄積が、地域の実力者の間に自らの富の守り合いと奪い合いを起こす闘争集団の組織化を可能にし、その争いが全国的な構造となり、戦乱、つまり、戦国時代へとなって行ったからである。
「人質制度」は武士の発生とともに始まったが、鎌倉時代には規模が大きくなり、徳川家康が、江戸に幕府を設けると、全国の諸大名に制度的な人質策である「参勤交代」を求め、三代家光の時代に制度として確立した。これは、信長や秀吉の城下町整備政策の制度化でもある。「富」つまり可処分所得を蓄えることは悪い事では無いが、それだけでは戦いの原因にもなる事を、自らも若いころ人質となった経験のある家康が、良く知っていたからである。それは結果として、世界史上にも特異な太平の豊かな文化を発展させた、江戸時代の基礎となった。大名行列の定期化は、全国各地の道路の整備と宿場の整備、通信の整備、商品物流の整備。何よりも、江戸という当時世界最大の消費都市の確立へとつながっていった。それだけではない。平和が続いた事こそが大阪を日本最大の米市場・商業の中心として栄えさせ、1700年ごろには、世界に先駆ける、米を中心とする商品の先物取引まで可能とする堂島の「信用市場の設立」まで発展したのである。先進的な為替制度も、全国的な秩序の維持が有って初めて可能だった。そう言った社会が、関孝和の世界的に高度な算術の発展を必要とし、また、可能にした背景だったと思う。
武士の勤務も最近の調査によると、各地の藩では一か月に三日位の登城勤務で済み、後は、学問をしたり、芝居を見たり、余暇を楽しんだり、子弟の教育に多くの時間を使うようになった。参勤交代で江戸にやって来た侍も2勤1休が多かったらしい。平和が保たれ、戦争が無く武士の数が余っていたからだ。そのメリットは、人口の6~8%程度だった少数の武士階級だけでなく、農・工・商の多数の庶民にも、大名行列で整備された宿場を使った、「お伊勢参り」や「出雲大社への参拝」、「富士講」など全国のそれぞれの地方ごとの無数の伝統的な行事が、全国的に大規模に普及していった。そんな時間的なゆとりが、商業を盛んにし、更に庶民の子弟にも寺子屋の普及を通じて、江戸時代を世界一級の教育水準の高い社会へと発展させる事を可能にして来たのだ。「弥次喜多道中記」とは、そんな時に人気を呼んだ大衆文化と言っても良いし、そう言う書籍が多数出版されたこと。ゴッホやゴーギャン等当時の世界一級の画家たちが目を見張った、素晴らしい絵画が印刷され、単に陶磁器を包む雑紙としてごみ同然に使用され、世界に伝わるという美術的なレベルの社会に、日本は達していたのである。江戸時代にも経済的な矛盾は多々あったし、農民一揆も起こっている。徳川幕藩体制の美化だけをするつもりはないが、我が国は、そうした背景で、世界に先駆けて独自と認められる「日本文化圏」を創れた事実は、認識する必要があるのではないか?日本が歴史的な大転換を遂げようとしている現在、産業革命の前の時代を学ぶ事には大きな意味があるし、所得を増やす事を優先させるよりも可処分時間を優先させた時代が、世界に先駆け、日本に実際に存在し、有効に機能していたのだとアピールをしたい理由である。

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日本の変な労働時間の短縮

現在、労働時間短縮のため、不当な政令を排して法治を確保するのでは無く、新法を乱発して、国民の祝日を増やすというおかしな政策がまかり通っている。日本政府は、休暇の増大が消費を増やす事を14年前には気が付いていたので、今までの労働時間短縮の努力を、「国民の祝日」を増やし、それが日曜と重なったら強制的に月曜日に替えることによって、国家が法律をつくって国民を一斉に休ませようとして来た。そんな祝日の増加は、その日を何故祝うのかという「国民の祝日の根本的な意味の本質」を希薄化し、多くの中小企業にとっても、現場の生産性を下げるだけという結果になっている。しかもその為、生活上実に不便な社会になるばかりだ。金曜日の営業時間に間に合わなかった事は、火曜日まで、三日間も待たねばならない事例が増え、その不便を体験した人も多いと思う。筆者は、すべての産業は、営業時間や日数を増やし、できればコンビニの様に一年中いつでも利用できるようにした方が便利だと思う。そして、産業の稼働時間を増やすことによって、資本回転率を良くすべきだと思う。社会の生産性も当然上がる。近年「海の日」や最近も八月に”山の日“という訳の判らない祝日が新設されたが、病院、役所,市場を、法律で強制的に閉鎖させ、働かせないというのは、推進する政治家や官僚の発想の貧困を意味している。余計なお世話なのだ。実に不便で社会的な”迷惑“以外の何物でもないことを、エリートこそ認識すべきだ。
 国民の祝日を増やすには、それぞれ立法が必要だ。そんな無駄な立法をせず、労働基準法をそのまま正当に適用すれば、意味不明な祝日を増やさなくても労働時間をもっと早く、合理的に減らす事が出来る。基準法を無視する「違法な政令」を内閣が閣議で廃止決定すればすぐに正せるのに、それをせず、新しい法を国会で通すというあべこべな事をするのは、おかしい。高額な国会開催費用の無駄使いではないのか?労働者がいつ休むのかは、法に基づき雇用者と被雇用者が交渉し、合議すれば良い事であって、行政が立ち入るべき事では無いはずだ。今、政府が音頭を取って、賃上げを実施すると報道されているが、それも、自由な経済にとって邪道ではないだろうか?賃金水準や労働時間の問題は、労使間の協議で行われるというのが自由経済の鉄則であると思う。政府や行政の役割は、あくまでもその交渉が、法に則して公正に行われる事を確保するレフリー役であるはずだ。政治家や官僚の出しゃばりは必要ない。有害無益である。
完全週5日制が進み、国民の休日も増え企業や事業所が仕事をしない日がずい分と多くなった。1年は52週間余。土、日計で104日。国民の祝日が17日。何と二週間以上もあり、合計120日となる。加えて夏のお盆の3日程と元旦以外の年末年始に、それに加えて数日休むのは国民的習慣だから、日本の公務員や大企業のほとんどが、1年365日の約3分の2しか稼働していない。その為に投資した設備も年の30%以上稼働していない事になる。これでは効率が悪すぎ、生産性が上がらない。このムダを何とかしなければならない。
 効率を上げれば、雇用を増やす原資も増やせる。雇用を増やせば、失業も減り、賃金も上がるし消費が増え、景気も良くなる。 増税せずに税収も増え、更に労働時間を減らすこともできるという「好循環」が可能となる。 いよいよ、デフレから脱却する条件も整うと言える。それを可能にする為には、国民全体が、「休暇を交代に、しかもまとめて連続して取る」しかない。その方が生産のためには効率的だからだ。生産のために都合がいいことと、消費のためにも都合がいいことが、バランス良く両立しなければ、持続的な経済成長は成り立たない。健全な経済成長を取り戻すためには、生産や貯蓄は経済の手段であり、経済の目的は消費だという大原則を日本の新しい経済成長の“土台”にしなければならない。

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政策課題としての“可処分時間”の増加

可処分時間とは、所得に裏付けられた自由な時間の事であり、単なる仕事をしていない自由時間では無い。 可処分時間を増やせるというのは、“サービス社会の経済”を拡大させる未来の必須で巨大な経済資源「つまり新しいお金」の開拓なのである。営業時間や生産の為の時間を減らす事では無い。むしろ工場を常に稼働させながら、働いている人の労働時間を少しずつ減らし、休みはそれぞれの勤労者が交代でしっかりと取れるように、24時間X 365日の経済的時間資源の配分を変えようということなのだ。そうすれば、計画的に一人当たりの労働時間は減らしていける。「連続休暇を交代でとる」という発想さえ保障されれば、労使が知恵を発揮し、そこから発生する諸問題(子供の教育など、多々有る)を、解決できるはずだ。交通機関や、ホテル、コンビニやその他の販売サービス業は、既に全日営業をしている。労基法が適法状態に戻れば、その人達の抱える、長時間労働の諸問題も解決しやすくなると思う。
 可処分時間の効用は、24時間+24時間=48時間ではない。1日プラス1日の休暇の長さは2日で倍となるが、可処分時間の「効用」は指数曲線的に上がっていく。 たとえば、日帰りでは半径100-200kmしか移動できないのが、1週間あれば国内の何処でも旅行することが出来、二週間まとまると世界中どこでも行かれるようになる。習い事をするにしても本格的に取り組めるし、親の介護、家族の病気にも使える。連続休暇=可処分時間の乗数効果はそのくらい大きい。 誰も人生に一度は世界中に旅行に行きたいのではないか?それが、実現できる条件をつくりたいものだ。旅行だけでなく、色々な文化や芸術をもっと学び、豊かな人生に生かしたい。物の豊かさよりも、心の豊かさを人生で実現したい。そういう欲望こそが、全く新しい「サービス経済」の要であり、我々が、皆、幸せになる経済を創造する展望を開く道である。
 しかし、いまはまだそんなことはできないと、みんなが思い諦めているようだ。
政府がリーダーシップを発揮して、現状を適法状態に復帰すると宣言しさえすれば、数か月でその諦めは、すぐに期待へと変わりうる。 全国的な実効性を上げる手段として、参考に成るのは、ドイツなどでは、連続休暇の“取得手当の支給”を施行しているそうだ。そこまでできれば、休みが与えられても必要な金が無いという状況下に置かれている人も旅行でき、その8%の消費税や、所得税、法人税としてすぐに税増収で帰ってくる。旅行が増えれば、道路網の整備の必要が有り、自動車の増売と交通機関の利用者が増える。裾野産業も広いので、各業界にとってもすぐ増収増益となる。「人」への財政投資が、箱もの等の「コンクリート産業」へも自然に繋がり、地方経済とその財政も良くできるのだ。
国民が、可処分所得と可処分時間のバランス良い増加で、余計な富の過剰蓄積が起こりにくい、つまり、バブルの起こりにくい“真の豊かさ”を実現できる社会に早くしたいものだ。

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過ぎたるは及ばざるがごとし

これからの日本の将来を考えても、過剰な所得の蓄積は、今後も国民を幸せに出来るとは限らない。国民が、可処分所得と可処分時間のバランス良い増加で、余計な富の過剰蓄積が起こりにくい、つまり、バブルが起こりにくく、その結果の悪性失業も起こりにくい“真の豊かさ”を実現できる社会に早くしたいものだ。

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可処分時間研究所 代表 瀧本泰行