■《Consume》の意味を再検討することから、経済を考える

2006年07月31日

 調べてみますと「Consume」を「消費」と表すのは、本来からいえば誤訳といえます。con(完全を意味するラテン語)とSume (取るを意味する)の合成語はもとの意味では、「完受」とでも意訳されるべきことばであり、似ている言葉としては「享受」があります。少し厚めの英和辞典を見れば、言葉の語源として必ずそう書いてあります。
 そもそもConsumeを史上初めて説明したのは、アダム・スミスの「国富論」です。「経済の目的は消費であり、生産はその手段である」という一節は有名です。農業経済が主であったスミスの時代には、消費のイメージは以下のようだったと思われます。
「…荒れ地を開墾して農地として排し、畑に小麦のタネを蒔き大切に育て、採りいれて脱穀し、製粉し、その粉を加工調理し、かまどで焼く。焼きあがったそのパンを食べること」こそが消費であり、自然の恵みと人間の労働の成果を「完全に受けとる」ことだったのです。消費に達するまでの人の行為はすべて労働であり生産行為です。
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 ですから、消費こそが経済の目的であり、生産はその手段と認識されたのは実に自然だったのです。
 ところが、「完受」と「消費」ではイメージが相当違います。「完全に受けとる」のと「消し費やす」はまったく違います。ではなぜ、consumeは消費と訳されたのでしょうか。consumeということばは、米国独立宣言の時代の二百数十年前、アダム・スミスの頃までは享受の意味で使われていましたがその後本来の意味が変ってしまい、Waste(浪費する、ゴミにする)やDestroy(消滅する、破壊する)になつてしまったのです。消費と日本語に訳したのは、明治以後のことであるのは確かですが、詳細はわかりません。私の記憶では四〇年ほど前まで「費消」とも書かれていました。Destroyやwasteに比べれば、「消し費やす」は日本語特有のマイルドな表現です。
 しかし、どう訳しても「消費」は明らかに良くないことで否定の対象であることには違いありません。

 先述したように、consumeの語源は完受・享受ですが、現代の意味は辞書に明らかなとおり「浪費する・消滅する・破壊する」となっています。ところがconsumeは語源の意味が変わったのだという解説はありません。その理由は、経済学者がこの事実に気がついていないからです。しかし、これは大きな矛盾といえるのではないでしょうか。言語学者にとっては、言葉の本来の意味が時代の変化のなかで逆転したというのは不思議ではありません。そのような言葉は数限りなくありますし、意図的に逆の意味で言葉を使い、独特な表現力とする反語法は立派なレトリックでもあります。
 しかし、経済学者や私のような経営者にとって、consumeの逆転は意味の強調ではありません。大きな矛盾であり無視できないものです。肯定的な「完受」が否定的な「消費」となった理由は何かを、もっと深く調べてみることにしました。
「国富論」の発行は、アメリカ独立と同じ一七七六年です。日本に経済学が生まれ、consumeを翻訳する必要に迫られたのはおよそ一〇〇年ほど前、本場英米の経済学が「完受」を「消費」に変質させてしまった後になります。アダムスミスの「経済の目的は消費」であるはずが、目的を生産に変えられてしまった後のことになります。それに気付かずに手段が目的に変ったことになるのです。
一体、何が起ったのでしょうか? それは産業革命です。産業革命とは、生産力を飛躍的に拡大させる生産手段の革命でした。産業革命が生産を経済の目的、換言すれば主役に変えたのだといってもいいでしょう。歴史書には産業革命を起したのは石炭エネルギーを使った蒸気機関の力だったと解説されていますが、それだけではありません。絶対的に必要だったのは資本としての 「お金」だったのです。
 資本があって初めて生産に必要な各要素を有機的に結び付け新しい付加価値をつくり出すことができたのです。価格さえ合えば、見知らぬ人のあいだでもあらゆる協力の合意が成され、行動の組織化はすぐにできます。「お金」はすべての経済要素を統合できる中心的な存在だったのです。
 産業革命は資本の創出に成功したからこそ可能だったのだと言えます。資本創出とは銀行制度確立の結果でした。資本は貯蓄を通じて形成されます。貯蓄するということは生産した商品をお金に換えた後、できるだけ消費しないで貯めることです。生産増強に必要な資本を増やすには貯蓄しなければなりません。貯蓄を増やすには消費を減らすしかありませんでした。本来なら手段であるはずの生産が目的化し「良いこと」になって、目的のはずの消費は手段というよりも、それ自体が否定的で「良くない」概念になるという倒錯状態が数世代に渡ってゆっくりと進んだのでした。「資本主義」は、そのように確立したのです。資本のための「お金」を増やすにはConsumeを否定的な言葉に解釈する必要がありました。結局、Consumeの意味の逆転は、なるべくしてそうなったのだ、といえるのです。
 Consumerが消費という日本語になったのは何故かを考えてみました。
 日本の商業の歴史は古いのです。大阪商人の長い経験や江戸時代に大阪堂島で始まった世界初めての商品先物取引市場。帳簿や会計に関する日本の知識は世界有数のレベルに達していました。
 ECONOMICSが経済学と訳され、日本に導入され研究が進んでいた明治時代、英語のConsumeをどう訳すかが問題となったにちがいありません。
「消費」または「費消」は、文字通り「費やして消す」という意味ですが、一体どこから消したのか? それは「帳簿」から消したという意味ではないでしょうか? 商品が生産される過程では、原材料費、加工費を経て仕掛かり品、完成品・商品と帳簿の中で名前を変えながら変化していきます。売れれば売上計上され帳簿の中から消えて行く。それを受けるのは家計簿です。つまり、消費とは帳簿から消えることを意味するのです。

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