『可処分時間』増やし消費拡大
読売新聞 99年4月28日朝刊 [論点]
未来学者がポスト・インダストリアルソサエティ、つまり工業社会の次の社会が出現すると説いていたころから、30年以上経った。当時の未来は今や現実である。大変化の時代がやって来ると説く声は多いが、過去に起った変化が巨大なものであり、経済の体質が既に大きく変わっているという認識は十分なのだろうか?その変化を認めなかったからこそ、どの先進国も経験したことの無い、この「異質な大不況」が発生したのだと思う。
面白い例を挙げよう。近頃、スーパーやコンビニで売られる水の価格は、ガソリンの値段より高い。昔、砂漠の産油国ではそうだと聞き驚いたが、今は石油消費国・日本の日常になっている。真に驚くべきは、誰もその事に驚いているようには見えないことにある。
日本経済は第三次産業従事者が全体の60%に達し、経済のサービス化が目覚しい勢いで進んだ。既に工業経済社会の次の段階「サービス経済社会」に変わっている。にもかかわらず、政府の景気回復政策はその事実を注視せず、過去の成功例を繰り返しているだけではないか?
過去の成功とは工業経済社会での経験に他ならない。振り返れば20世紀は工業の世紀だった。前半は重化学工業化と電化が進展し、日本の成功は20世紀後半の規格大量生産工業社会でのことである。
高度経済成長の時代は、賃金を上げ「可処分所得」さえ増えれば消費が拡大した。販売の増加は効率的な規格大量生産でコスト低下と利益増大に繋がり、再投資された新設備からの製品は、砂地に水が染み込むように消費され、その好循環が長期間大規模に継続したのだ。強力な生産力と旺盛な消費力はバランスがとれていた。
人類史に未曾有の日本の高度経済成長は、その環境を創り出せたからこそ可能であったと思う。しかし、時代は大きく変わった。工業経済社会と、サービス経済社会では消費スタイルが違う。賃金を上げ、可処分所得を増やせば有効需要が増え、経済が成長するという従来の成功パターンの適用が出来ない。何故ならサービスの多くは生産と消費がリアルタイムに発生し、消費拡大には可処分所得だけでなく、消費の為の自由時間、つまり「可処分時間」が絶対に必要だからだ。
具体例を挙げよう。お金が有れば自動車は買える。運転する暇が無くて車庫に停めておくだけでも減価償却は進む。工業経済社会では、これでも良かった。自動車は消費された事になった。しかし、サービスは、お金だけでは消費出来ない。例えば男性の理容や女性の美容など、椅子に座ってサービスを受ける時間を用意しないと消費は不可能である。
サービス経済社会に変わるということは、金と時間の両方が無いと消費出来ないサービスの新製品がどんどん増えて高度化していく事だ。時間が購買力・消費力となる時代なのである。ものは無いが時間は十分に有った時代に高度経済成長は始まり、今は、ものは有りすぎるが時間が無い。
サービス経済、つまり第三次産業の成長が第一次、第二次産業にも波及し、新しい経済成長へと繋げられる時が来たのに、その為の環境創りは余りに不十分だと思う。21世紀に向けた新しい社会構造とライフスタイルを作り出せなければ、この大不況は堂々巡りを繰り返しながら閉塞状況となり、やがて日本経済は窒息するのではと心配だ。
現在の農林水産業鉱業は、工業技術の存在無しには今の大発展を遂げられなかった。これは常識である。しかし、一次から二次産業への移行期は、時代の変化を認めたくない社会勢力の大反発をまねいた。工業・製造業の発展も決して容易な道でなかったのである。
70年前の異質な大恐慌を経験した米国の場合も、それまでの農業大国が急に世界の工業経済社会の先頭ランナーとなり、移行期特有の矛盾を第一次産業時代の常識、つまり、過去の成功体験で解決しようとして大失敗したのだといえる。解決には新しい工業経済社会を徹底させる事のみが有効だった。それが結局のところ第二次大戦だったのは、皮肉で悲しい歴史である。
デフレ大不況だからと「過剰生産」の解決が叫ばれるが、筆者は「需要不足」こそ解決すべき問題と考える。可処分所得増加で消費拡大という成功体験を捨て、「可処分時間増加による国民生活の質向上」の経済政策に切り替えるべきだ。
国民の持つ「消費力のエネルギー」をサービス経済に向けて解放する事こそ、20世紀後半の先頭ランナーとなったが故に苦闘している日本の、この異質な大不況克服の「発想を変えた解決策」に成りうる。
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