可処分時間研究会
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私の意見

デフレは歴史の転換点に訪れる第三の経済政策としての

仮説・「可処分時間」

                                                             2004年11月

インフレターゲット論は、マネー供給を増やし「金融手段」でインフレを起こすという。

サービス産業、旅行業などの時間消費型産業では、時間が得やすい環境になると

商品の価格が跳ね上がりインフレ的な状態が発生している。

ゴールデンウィーク、八月のお盆、年末年始がその期間で価格は2〜3倍に跳ね上

がる。金融や財政の景気刺激とは全く無関係だ。サービス化した経済では、マネー

を使わず金融に頼らなくてもインフレ状態を創出できる。

デフレ不況の根底には経済の構造的な変化があるといわれる。

ところが、変化した構造とはいったい何なのかについては余り論じられない。

「構造」変化の中身の検討無しに、いきなり「改革」だけが唱えられているので、構造に

対する共通の理解を欠いた、かみ合わない応酬が続いているように見える。

せっかくの「構造改革案」は空回りするだけで、生産的な実のある議論へとならない。

地租改正以来130年間分の別紙グラフを見ると、産業別の人口が激変している事が

判る。この表に明らかなのは、農水業人口の劇的な減少と、工業人口の勃興、それ

に減少傾向の始まりである。

一貫して増えているのはサービス業だけだ。

結果、第三次産業の人口が70%近くになり、一次と二次は合わせて三分の一の人口

しかいなくなっている。それが実体経済にどう変化を与えているか?

このデフレとどう関係しているのか?

仮説の一、

デフレの原因・経済の構造変化とは、産業人口構成の歴史的変化ではないか?

第一次、第二次産業と第三次産業には、経済実体に「構造的な大きな違い」がある。

農水業・工業は物を製造している。しかし、第三次産業は物を作ってはいない。

農水業と工業は「食べる物」、「暮らしに必要な物」の製造で付加価値を生み出している。

第三次のサービス産業は物を作らずに、「物を扱って」付加価値を創出している。

物を扱うとは古来の言葉で「事」といい、両方合わせて「物事・ものごと」となる。

1984年、それまでの人気商品いわゆる3Cを押さえてレジャー、旅行が国民の買いたい

商品の一番手として初登場した。消費をリードする商品が「物」から「事」へと代わったのだ。

「消費が景気を良くする」は現在の常識であるが、過去の経済ではそうではなかった。

景気とは「生産」が活発になることであり、供給制約を解決し有効需要の増大が目指された。

需要は「投資+消費」である。投資は「生産の為」だから需要とは「生産+消費」を意味する。

このデフレの原因は需要の不足にあると指摘されるが、足りない需要とは、生産ではなく、

消費なのである。すべての商品の付加価値が確定するのは消費された時点なのだから。

閑話休題。

CONSUMEを「消費」と表すのは、誤訳である。CON(完全を意味するラテン語)とSUME

(取るを意味)の合成語は本来の意味からは、「完受」とでも意訳されるべきであった。

農業経済が主であったA・スミスの「国富論」の時代には、そう認識されていたはずである。

「経済はCONSUMEが目的であり、生産はその手段である」という有名な一節は「完受」の

意味でなければおかしい。ならば何故、CONSUMEは消費と訳されたのか? 

CONSUMEの意味は変転してしまい、WASTE(浪費する、ゴミにする)やDESTROY(消滅

する、破壊する)と解釈されてしまったからである。何故、そうなったのか?

物の経済では、マネー(貯蓄)が商品の親であり、マネーを増やすにはCONSUMEを否定

の対象にする必要があった。

経済学とは英語と数字だけを使って考えるという世界で唯一の特殊な学問である。

「物」は財貨と訳され、「事」はサービスと呼ばれ、合わせて「商品」をモノと表している。

英語には「物事」という表現がない。強いて辞書を調べればTHINGSと記されている。

無理な翻訳の為「事」は認識されず、物とモノは混同して使用される。この悪影響は大きい。

仮説の二、

デフレは「物の経済」から「事の経済」への転換に付随する経済現象ではないか?

「物の経済」と「事の経済」は商品の交換、市場の構造に本質的ともいえる違いがある。

物の商品はマネーさえあれば購入できる。事(サービス)の商品はマネーだけでは買えない

物の経済は「分業」を拡大原理とするが、事の経済では「統合」こそ付加価値の源泉である。

物の生産点と消費点は構造的(時間と空間)に離れる。事は両点が(時空上)接近し、一致する。

事・サービスは消費の為の時間・購買力としての可処分時間が無いと市場で交換不能である。

仮説の三、

経済学とは、物の経済つまり第一次と第二次産業を発展させる為の学問ではなかったか?

生産を増やす事が研究の中心であり、消費は自明と考えられてきた。しかし、国民消費が

経済の大部分を占め、第三次産業がここまで大きくなると、「事の経済」を正当に位置づけ

ていないため、その意味を説明出来なくなっている。

物の経済の付加価値創出力が低下しているこのデフレを「得体の知れない不況」と呼ぶ理

由は、この辺にあるのではないか?

歴史の転換点であるこのデフレを乗り越えるには、生産力が消費を先導するのではなく、

「消費力」が生産を保証するという経済政策が必要ではないか? 

国民生活の豊かさが実現するのは商品を消費した時であり、企業にとって必要なあらゆ

る付加価値は国民の消費によって確定する。

そして政府にとって税の源泉とは国民の消費力だという逆転の発想を経済政策に大胆

に取り入れる必要がある。あらゆる危機は発想の転換から答えが出てくる。

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